【断片06/20】本棚とドールハウス

「ほーら、やっぱ俺のコレクションとカブりまくってる」
「だからって同類とは限りませんよ。全部カブってるわけじゃないでしょう?」
「趣味が全部カブる奴なんざ居るわけねぇだろ。部分集合の面積がでけぇ、って言ってんだよ」

押しが猛烈に強い唯一と、押しが猛烈に弱い理央では、当然こうなる。

「これからカブりそうなのも結構ある。色んな奴んち行ったけど、俺が居座っても暇しなさそうな本棚って初めて見たなぁ」
「居座らないで下さい」

押し入った、としか言いようのない勢いで理央のマンションまでついて来た唯一は、帰路のスーパーで買い込んだ2袋分の生鮮食材をキッチンスペースに置くなり、本棚を隅々までチェックし始めていた。

「ってちょっと待て、どの棚も地震対策してねぇじゃねぇか。こんなもんの真っ正面にベッド置いてんじゃねぇよあっぶねぇな。明日、耐震グッズ持ってきて全部の棚に設置すっから」
「え、そこまでしてもらっては申し訳無」
「申し訳無ぇと思うんなら逆に設置させろもう心配で心配で今日帰ってから朝まで眠れませんお願いします。ほんとは今すぐにでも持ってきてぇんだよ、けど今からじゃホームセンターの閉店時刻までに買いに行けねぇし」

8畳ほどのワンルームは、確かに危険だった。
壁のほぼ全面を本棚が占めている。
大学で使っていたと思われる専門書、ハードカバーの小説、油彩の画集、等からライトな文庫やコミックスまで。
大事にされているらしき本達が、埃一つ疵一つ無く住んでいた。

「……ありがとう……ございます」
「どういたしましてー。気にすんな、余計なお節介だろうから」
「いえ、本当に有難いんです、けど……」
「けど?」
「明日も押し入るつもりなんですね?」
「うん」

普通に真顔で返事してから、唯一は普通に本棚チェックに戻る。

「しっかし見事に本しか無ぇな、色気も何もあったもんじゃ……あ、女の子らしいもんもある」

本棚の片隅に、ドールハウスがあった。

「……子供っぽい、って笑われるかと思いました。だから、部屋、見られたくなかったんです」

大柄な唯一が立ち塞がっていてキッチンスペースから部屋に入れない理央は、唯一から視線を逸らして呟く。
無表情でも、“照れている”ことは唯一には伝わった。

「何でそんなことで馬鹿にしなきゃなんねぇんだよ。可愛くていいじゃねぇか。ミニチュア、好きなのか?」

視線を逸らしたまま、理央が微かにびくりとする。
無表情でも、先ほどの“照れた”とは違って、“動揺した”ことは唯一には伝わった。

「……ええ。可愛い物は全般的に好きです」
「って割には、置いてんのはコレだけなんだな」

普通に答える理央に、唯一もまた普通に話を繋げる。
無表情でも、理央が“ほっとした”ことはやはり唯一には伝わった。

「物欲の赴くままに何もかも買ったら部屋が張り裂けます」
「ごめん、俺、そういう人種だ。にしてもコレ、充実してるなぁ」

赤い屋根の家。
二階建てのアーリーアメリカン風のカントリーハウスを切り開いたそれは、精緻で優雅で、物がたくさんありながら整然として。
端的に言えば、夢が詰まっていた。

「小さい頃欲しかったけど、手に入らなかったので。進学で独り暮らしになってから、少しずつ揃えました。就職したら一気に買い揃えられるようになって嬉しいです」
「分かる分かる、大人の特権だよな。けど、どうしても欲しけりゃ、誕生日なんかに頼めば良かったんじゃねぇか? 小遣いやお年玉貯めるとか。またはサンタさん」
「……頼んだこともありました、けど……」

無表情の中の、眼だけが曇る。
良くないスイッチを押してしまったことに気付いたが、ここで話を打ち切るのも不自然なので、唯一は普通の態度を保って先を促した。

「けど?」
「その年は、サンタさんから、和英辞典が届きました。誕生日も毎年、学習用品です。お年玉は全額貯金だったし、お小遣いというものは都市伝説だと思ってました」
「……うっわー……」

この話題は掘り下げないことにして、唯一は改めてドールハウスに視線を戻す。
そして、気付く。
夢が詰まっていながら、そこは、無人だった。

「ドールハウスってさ、こういうディスプレイも多いけど、人形もあるよな? ほら、たまに店で見かけるやつ。可愛いもんが好きな割には、そういうのは買ってねぇんだな」
「……ええ。アレは可愛くて、欲しいけど……イメージが湧かないんです。そういう家で誰かが暮らしてる、っていうイメージが……」

眼が曇りを通り越してどこかへ行ってしまった理央を見て、前屈みになってドールハウスを覗いていた唯一は、身体を起こしてキッチンスペースへ向かった。

「ああ、そういや飯作るんだった。キッチン借りるぞ」
「あ、……はい」

立ち位置を替わる。
ワンルームマンションとはいえ大柄な人間も住む筈だが、シンクと調理台と一口しか無いガスコンロは、唯一には小さ過ぎた。

「ままごとみてぇなキッチンだな。お、道具はそこそこ使い込まれてる」

唯一が調理を始めたことでやや安心していたらしき理央が、また微かにびくりとした。
だから、気付く。
この家にある物全て、安易に話題にするのは避けるべきであるらしい、と。

唯一には理解出来なかった。
就職してからは、唯一も独り暮らしをしている。
そして、居住空間とは、好きな、安らげる、厳選した物だけで構成されているべきだ、と思っている。
誰にも遠慮しなくて良くなったせいで、安アパートの一室は、その信念が暴走した二次元屋敷になっていた。

が、理央の場合は。
好きである筈のプラスの物、のみならず特徴の無い生活必需品さえ、部屋にある物全てがマイナスの何かとセットになっているらしい。

そんな物思いは表面には出さず、唯一は調理を続ける。
男の手料理、という一言で片付けるには驚愕の光景だった。
ががががが、と業務用スライサーのような速度と正確さで野菜を刻み、一方で火加減に細心の注意を払いながら煮物汁物炒め物を作っていく。

「……慣れてますね。飲食店でバイトとかしてましたか?」

ショルダーバッグを下ろし、冬場は炬燵になるのであろうローテーブルの上を布巾で拭いていた理央が、手を止めて訊く。

「いや、したこと無ぇけど? 自炊してたら普通だろ」
「そんな普通、見たこと無いですよ。お役人やってる場合じゃありません今すぐ料理人の頂点を目指して下さい」

味噌汁を玉杓子で掬い、醤油皿に取っていた唯一は、嫌そうな表情になって理央を見た。

「お前、幸多と同じような言葉のセレクトするよなぁ。モノの考え方が似てんのかなぁ、やだなぁ」
「……幸多さんと、仲、悪いんですか?」
「うん。多分、今まで出逢った奴の中で一番、相性悪ぃ」
「その割には……たまに一緒に居るところを見かけますけど、和気藹々と話し込んでますよね。てっきり親友かと思ってました」
「お前の辞書の“和気藹々”や“親友”の説明文はどうなってんだよ」

醤油皿の味噌汁を味見しながらまだ嫌そうに言った唯一は、

「親友どころか……俺、もともと、友情っていうもんが分かんねぇんだよ」

うっすらと霞んでいるぼやけた昔を思い出しながら、ふと遠い口調になる。

「少年漫画じゃ必須だよな? 俺だってそういう暑苦しそうなもんが欲しかったけどさ、そのために最初に必要な“他人への興味”がそもそも湧かねぇ。相手が友達だと思ってくれてんなら有難ぇことだし、仲良くしようと思って寄って来てくれてる奴をわざわざ邪険にする必要はねぇから、普通に接するけど。どっちかっつーと……、」

自分の核を成す重要な要素のうちの一つについて語っている、という自覚も無く、

「俺に突っ掛かってくる奴のほうは、ちょっと興味が湧く」

唯一は出来上がった品から盆に乗せていきながら続ける。

「お互い無関係に生きてりゃお互い心穏やかに過ごせるってのに、何で俺に近付いてきてまで噛みつく? ……って思うと、そいつと話してみたくなる。話してみると、気が合う合わないは別として、大抵面白ぇ。どういうわけか、話したら結局面白くなかった奴とか返事しなかった奴とかは、最初の時点で話す気が起こんねぇんだよな」
「……私は別に天原さんに突っ掛かったわけじゃないと思うんですが、どうして私のところに来るんですか」

ふと真顔になり、唯一は口元に手を当てて暫く考え込んでから、理央を見た。

「何でだろ?」
「私が訊いてるんですが」
「うーん。単純に、一緒に居たら楽しいから、かな。だから多分、友情じゃねぇ。じゃあ何なんだ、って言われるとよく分かんねぇけど」

唯一はとんでもないことを言い放ったわけだが、結論を出してしまったせいで、理央も唯一自身も、それ以上その話を掘り下げようがなかった。

「よし。口に合うかどうか分かんねぇけど、どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」

狭い空間で唯一を意識しないように、理央は事務的な言動に努めようとしているようだった。
が、魚料理を一口含んで、微かに眼を瞠る。

「……美味しい」
「そう? ありがと」

社交辞令ではない響きに安心して、唯一も「いただきます」と言ってから箸を取った。

「意外です。薄味ですね? 何ていうか……ごってりした重い食材や味付けが好きかな、と勝手に思い込んでました」
「あー、それよく言われる。見た目の印象と違い過ぎる、って」
「お昼ごはんの時はいつも、こういう系統のを注文しませんよね?」
「役所の近所に、そういう店が無ぇから。自分で作る時ぐらいは、味と量とバランス考える。お前の口に合ったんならいいんだが」
「ええ。私、ついこの前まで京都に住んでたので。コレ、関西の味に近いですよね。こういう味覚なら、関西に住んだほうが良かったのでは?」

今度は理央が、良くないスイッチを押してしまった。
唯一は、食べる手を止める。

「うん、だから、就職先決める時、スっゲぇ迷った。秋葉原にすべきか心斎橋にすべきかそれが問題だ、って」
「……それ、重要なんですね?」
「最重要だっつっただろ。気質や文化や味覚でいえば関西のほうが合いそうだし、心斎橋あるし、と思ったんだが……テレビ、特に地上波で困るからな」

きりっ、と真顔で答えた唯一に、理央が躊躇いがちに訊く。

「……まさかとは思いますが、アニメを観られるかどうかが、就職先を最終決定……」
「当然だ! ちっちぇえ国なのに何で全国一斉放送にしねぇんだよ!? 番組によっちゃ1週遅れだったりするだろ!? 関東でしか放映しねぇ番組さえあるだろ!? 最近は公式がネットで先行配信してたりもすっけど、俺はリアルタイム放送をCMごと録画してぇんだよ! イベントだのレアな限定特典だのも関東に集中してやがるし!!」
「分かった分かりました関東の勝ちっていうことでいいです」


「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまー」

食器を片付けようと立ち上がりかけた唯一の背中が、部屋の隅のデスクに当たった。
途端に、紙がばらばらと落ちてくる。
振り返ると、ノートパソコンとプリンターの傍らに、紙が山積みにされていた。

「悪ぃ、ちょっと崩しちまった」
「あ、いえ、お気になさらず。狭いから仕方ありません」

撒き散らしてしまった紙を拾い集める。
何らかの外国語の文章の行間に、赤ボールペンの几帳面な字で、英訳がびっしりと書き込まれていた。

「コレ、何?」

訊かれて一瞬びくりとした理央は、平静を装って答える。

「えっ……あ、はい、少し……興味があって、調べ物を」
「少し、って量じゃねぇぞ」

拾った紙をざっと眺めた唯一は、さっ、さっ、とその20枚ほどの紙を並べ替えてから、紙の山の一番上に戻した。
理央はまた、びくりとする。
ナンバリング部分を印刷していない、順番がばらばらになった紙を、並べ直した。
ということは、唯一はそこに書かれている内容が「読めている」。
理央の動揺に気付いていないのか、唯一は改めて食器をキッチンスペースへ運び始めた。

「何でわざわざ英語に訳してんの? 日本語にすりゃいいだろ」
「え……ええ、使う人口が少ない言語を、ネットで日本語に自動翻訳してみると、変な文章になりがちなので。英語にすると、比較的自然な翻訳になることが多かったからです」
「あー、なるほどね。……コレは?」

盆に乗せきれなかった食器を取りに戻ってきた唯一が、別の紙の山を指す。
先ほど一部をばら撒いてしまった高いほうの山の紙は、一度書いた英訳を線で消したり、何パターンかの英訳を並べて書いてあったり、と苦戦しながらもとにかく全文を翻訳している。
が、低いほうの山の紙は、初めの3分の1ほどしか赤字が書き込まれていなかった。

「あ……ソレは、途中まで翻訳してみて、調べたい内容とは微妙に違ったかな、って保留してる分です」
「ふーん」

低いほうの紙の山から、唯一が何気無く数枚を手に取る。
英訳途中の1枚目を捲ると、2枚目以降には確かに赤字が無かった。
3枚目、4枚目、と眺めながら、唯一はぼそりと呟く。

「『諸疾病に於けるシャルル・ボネ症候群の併発比率』」

理央は完全に硬直した。

5枚目にはまた上から3分の1ほどに赤字の書き込みがあり、6枚目以降は手つかずで放置されている。
つまり、5枚目からは別の内容になっている。
それを斜め読みしながら、唯一は独り言のように呟き続けた。

「『共感覚のメカニズム及び症例』。それから……『辺縁系の非随意性に関する検証』? 内容、やけにばらばらだな。何調べたかったんだか分かんねぇ」

激しい衝撃を隠そうと、膝で立ち上がった理央が努めて冷静に訊く。

「……読めるんですか?」
「うん」

紙の束から目を離さず、唯一はごく普通に頷いた。

「済みません、ソレ、何語なんですか? 私それすら分からなくて」
「えっと。ああ、リトアニア語。こっちは……うん、スペイン語」
「え? スペイン語っぽい形してるなぁ、と思って自動翻訳してみたんですけど、ところどころ、ちゃんとした英文になりませんでしたよ?」
「コレ、メキシコのどっかのサイトから拾ってきただろ。他のスペイン語圏では通じねぇとか用法が違うとか、メキシコ語としか言いようのねぇ単語が多いんだが、扱いはスペイン語になってる。最近はネット辞書も充実してきたけど、コレを調べても用例すらヒットしねぇかもな」
「要するに……世界規模の方言ですか?」
「うん。けど、例えばカタルーニャ語とかを『方言ですよね』なんて言ったら、多分ど叱られる。皆、自分とこの言葉、誇りを持って喋ってるから」

紙の束の底面をローテーブルでとんとんと揃えてから、唯一はそれを低いほうの山に戻す。

「別に方言じゃなくても、そうだな……例えば、俺が日本語喋ってるからって、俺の言葉をそのまんま日本語で書き写したら、自動翻訳で英語にしようとしてもまともな文章になんねぇ、ってのは想像つくよな? こういうお固い内容だったらそんなに砕けた言葉は使ってねぇようだが、学術サイト以外では文法無視の口語で書いてあることも多いから、自動翻訳は当てになんねぇぞ」

先ほどばら撒いた紙をもう一度手に取り、唯一は首を傾げる。

「何で、読めねぇもん印刷したんだ? っつーか、何で、調べようとしたことがここに書かれてるかも、って思ったんだ?」
「……論文やニュース記事なんかだと、英語が多くてまだ助かるんですが……引用元や関連記事のリンクへ飛んで、そこが英語以外の文章だったら、私には全く読めません。でも、何語かさえ分かれば試行錯誤のしようもあるから、とりあえずプリントアウトしてるんです。個人サイトやブログでのまとめだと更に手間暇掛かるし、ページが削除されることもあるので」
「けど、いくら印刷しといても、ロシア語とかアラビア語とかそういうのの派生言語とかだと、後で調べるの大変じゃねぇか? 文字入力やコピペで困るだろ」
「そうなんです。ついうっかりプリントしてしまってから気付きました。だから最近は、まずはページを丸ごと自動翻訳してくれる機能に頼っています。それでも一部はおかしな文章になりますけど」

唯一が見た別の紙には、中国語らしき文字列が並んでいた。

「ああ、コレとかそうだな。普通に中国語から英語に自動翻訳したら、よく分かんねぇ文章になるだろうな」
「……中国語じゃないんですか?」
「台湾や香港、澳門のほうの書き方。文法は同じだし、最近は自動翻訳でも簡体字と繁体字を見分けてくれるようになったけど、語彙や用法がかなり違うから、ネットだけじゃ翻訳しにくいと思うぞ」

すっ、と唯一はデスク隅のペンスタンドに左手を伸ばした。
赤ボールペンを取ると、どかっとローテーブルの前に座る。

「しかもお前、コレをいっぺん英語にして、次に日本語にしてんだろ?」

トランプのように紙をスライドさせて卓上に並べた、かと思うと猛スピードで日本語訳を書き込み始めた。
唖然として言葉を失っている理央と違って、がしがしと書き込みながら、唯一は普段と全く同じ調子で喋り続ける。

「翻訳ってのは、回数が少ねぇほうがいい。1回増えるごとにノイズが増えて、元の内容から掛け離れていく。自動再翻訳したら大抵、意味不明な文章になるだろ?」
「は、はい……翻訳が間違ってないか、再翻訳してみるんですけど……どんどんおかしくなります」
「だよな。同じ言語喋っててさえ意思の疎通が出来ねぇ相手も居るほどだ、言葉使ってる限りは翻訳ゼロ回もあり得ねぇ。脳味噌の中身を翻訳して出す、相手が再翻訳して脳味噌にしまう、の2回だもんな。ほんとは言葉なんか無くて、考えてることが直接伝わりゃいいんだろうけど、俺らは首の後ろに端子がついてるわけじゃねぇし」
「……電脳化が普及してる世界だったら、天原さんから考えを受信すると頭パンクしそうですね」
「あ、そうかも。雑念多過ぎるからなぁ」

唯一の書き込む手は止まらないが、気軽な雑談に移行したことで、理央はやや落ち着いてきた。

「……海外、長かったんですか? あちこちって言ってましたけど、そんなに何ヶ国も?」
「いや、あんまし。ガキの頃だけだし。7年半で3ヶ国4都市」
「長くて多いほうだとは思いますが……子供時代に3ヶ国だけだったなら尚更、そんなに何でもかんでも読めるっていうのは……」
「ほら、俺、喋ってねぇと死ぬから。で、思ってることを自由に誰にでも喋ろうとするなら、読み書きが必要だったわけで。それに、一つの国には一つの言語、ってわけでもねぇ。人種なんてごちゃ混ぜだったから」
「で……でも。ソレ、専門用語も多いのに」
「そりゃ、専門用語とかだと、全部知ってるわけじゃねぇよ。新語や造語なら特にな。けど、その単語に固有名詞が含まれてりゃ、意味は知らなくても、あーこの人だか場所だかが関係あるんだな、って見当つけて、後から調べられる。それ以外だと……」

見れば、確かに、固有名詞らしき単語は赤丸で囲んで翻訳を保留してある。

「人間が何かに名前つける時には、ある程度、法則がある。語源や意味を示す要素が全く含まれてねぇ単語作ったって、イメージが共有しにくいただの音声になっちまう。新しい発明や発見に『ゴギファップンゴロッパンベレラ』って名前つけても、覚えてもらえねぇだろ?」

読み進んで意味を把握したのか、唯一は赤丸箇所に戻って何か記入した。

「大体は、例えば、何々語で何々を意味する言葉、とかをくっつけ合わせたり、語尾を自国語の文法に則って変えたりするわけだ。イメージの共有って大事だよ、RPGのモンスターなんかが元ネタそのまんまの名前だったりすんのもそういう理由なんだろうな」

早くも3枚目に突入しながら、唯一の言葉は流れるように自然に出続ける。

「お前、普段、新聞読んでて知らねぇ単語が出てきても、悩まねぇよな? 漢字かカタカナが予め情報含んでくれてるから。まず文字見たら凡そのイメージが湧く、でもって続きに詳しく説明してある。コレだって全部そうだ」

これほど喋っていながら、文章の内容については一言も触れない。
小さく安堵の溜め息を吐いた理央は、小さく頭を下げた。

「……ありがとうございます。本当に……申し訳ないです」
「どういたしましてー。気にすんな、余計なお節介だろうから」
「いえ、本当に有難いんです、が……」

口籠った理央は、唯一の手元から視線を逸らす。

「言いてぇこと何となく分かる、遠慮無く正直にどうぞ」
「は……はい。その……肝心の、日本語の字が……」

理央の書き込みが、もともとそこにあった注釈であるかのように丁寧で読みやすい字であるならば。
唯一の書き込みは、控えめに言って、暗号か楔形文字だった。

「ごめん。いやもうマジでごめん。俺の手書きの伝言メモとか、職場でもスっゲぇ嫌がられる。こりゃパソコンで清書したほうが良さそうだな、コレ何枚か借りてってもいいか?」
「……はい」

一瞬躊躇して立ち上がりかけたが、理央は座り直して小さく頷いた。
それとは無関係に、ふと別のことに思い当たった唯一が、宙を見やる。

「あ。そうだ。ごめんといえば、も一つごめん。今言ってたこと、一部間違ってたかもしんねぇ」
「何がですか?」

微妙な表情になった唯一は、理央を真っ直ぐ見つめて、微妙な口調で答えた。

「名前つける時は、イメージの共有を大事にするもんだ、って話」
「……あ」

この時、二人が同時に思い出していたのは。
唯一は、窓口に提出される出生届、など。
理央は、登記簿謄本の“権利者その他の事項”欄、など。
業務上接することが多い、人名だった。

左手の赤ボールペンを置き、ローテーブルに右肘をついて、唯一は頭を抱える。

「最近……解読にも読解にも困る名前が増えたよなぁ……」
「……同感です……」