【断片05/20】司書

正午前、人事部人事課。

「あれ? なぁ幸多、武元主査は?」
「今、会議」
「あっそ。コレ、ウチの分の取り纏め。渡しといてくれ」
「はいよ」

自席で文書作成中の貴臣は、唯一を振り返りもせず、片手だけ背後に差し出して書類を受け取った。

「お、もうすぐ鐘鳴るな。んじゃ、よろしくー」

早足で立ち去ろうとした唯一の襟首が、むんず、と後ろから掴まれる。

「ぅぐぇっ……おい何すん」
「あーまーはーらぁーーー」
「なっ何!? ソレ、不備でもあった!?」

唯一が一瞬躊ろいだほど、たった今まで普通に仕事していた貴臣は、鬼の形相に豹変していた。

「……新卒の……饗島さん……って居るよね?」
「へ? ああ、居るよな」
「どういう関係?」
「は?」

鬼が更に迫り来る。

「勤務時間外! いつ見てもお前がくっついてるよね!? 新人研修終わってすぐに! 配属初日から!!」

もっと深刻な話かと思ったら、(唯一にとっては)大した内容ではなかったので、唯一のほうはすぐに普段の自然な態度に戻った。

「うん。まさに今、昼飯に呼びに行こうとしてんだけど」
「全庁の新人歓迎会の時から狙ってたのに!」
「ん? ……ああ、人事主催の新歓? そういや、幹事で忙しいとか言ってたっけ。相変わらずロックオン早ぇな。っつーか図書館の彼女どうした」
「先週別れた。何か違ったんだよねー」
「またかよ。んなことばっかしてっと、いつか女に刺されるぞ。まぁいいや、んじゃ頑張れよ」

面倒な貴臣に構っているどころではない唯一がドアへ向かおうとするのを、貴臣は更に面倒度を上げて引き留める。

「どう頑張ればいいんだよ教えてよ。お前と競ったら勝ち目無い、って前にも言ったよね?」
「何で。珍しく気弱だな。女関係は、お前と斎藤の寡占市場じゃねぇか。お前、有望株の人気馬だろ性根腐ってるだけで」
「人気馬程度じゃ、本気出した本命馬に勝てっこないだろ。お前が参戦してこないから俺達が上手くいってただけなんだよ女の人気自体はお前の独占市場なんだよあと一言多いよ。いつから饗島さんに目つけてた?」
「目ぇつけてた、って。嫌な言い方すんなよ。あいつが窓口に転入届出しに来た時から」
「全力疾走の上にフライング!? 今、何馬身差!?」

やっと手を放した貴臣は、本当に貴臣らしくなく気落ちしていた。

「あーあ……昼休みだけならともかく、朝一緒に来て夕方一緒に帰るってどういうこと」
「家まで送り迎えしてるだけだが?」
「饗島さんちって駅三つ先だよね!? 送り迎えが必要な距離じゃないよね!?」
「お前みてぇな危ねぇのがうろついてっから送り迎えしてるだけだが?」
「何その鉄壁のガード。お前、周囲の女に興味無いって言ったくせに。俺を油断させる罠だったんだな」
「よくまぁそんなどうでもいい一言を覚えてて恨むネタに変換出来るもんだな。何年も前から、いつ発動すっか分かんねぇトラップ仕掛けるわけねぇだろ」

放置して立ち去ろうとすると、恨みがましいぼそぼそとした呟きが追ってくる。

「ああいう清楚系のエリートが好みだったのかよー」
「……あいつ、エリートなの?」

思わず足を止めて訊き返していた。
驚いたわけではなかった、ごく普通に「知らないことを訊いた」だけだった、その語が理央に「似合わない」と感じただけだった。
そして、貴臣のほうは、理央のことを「知らない」上に「知らないことを驚かない」唯一の態度が驚きだった。

「学歴も華々しいけど、今年度の筆記試験、ぶっちぎりでトップだったよ? 本人から何も聞いてないの?」
「そういや、お互いに身の上話は一切してねぇなぁ」
「はぁ!? 普通そういう話は最初にしない!? あんなにいつも一緒に居て、何話してんの!?」
「主に、くっだらねぇ話を延々と」

貴臣は、気落ちを通り越して、がくんと脱力した。

「ああ……こんな奴のために、俺は断られたのか……」
「何を」
「昨日の午前中、財政に用事あって行った時、昼食に誘おうとしたわけ」

――あ。饗島さーんっ。
――……はい?
――俺、覚えてるかな。幸多。ほら、新歓で幹事やってた。
――……はい。覚えています。その節はお世話になりました。
――いえいえ。それでさ、今日、お昼空いてたら、一緒にどう?

「新歓の時はさ、『脈がある』って思ったんだよね。だから、断られるなんて思いもしなかった」
「お前のそのドリーミーが手後れな脳味噌どうにかなんねぇのか」
「ほんとだってば! 初対面の時の、彼女の反応が良かったんだよ!」

この時だけ、唯一は僅かに反応した。

(『反応』? 殆ど感情表現をしねぇあいつのリアクションが分かんのか? いや……こいつのことだから、単にポジティブをこじらせてるだけだよな)

――……先約がありますので……折角ですが、申し訳ありません。
――えっ!? あ、そ、そっかーあははははこっちこそ突然ごめんね。えっと、いつなら空いてる?
――……当分は空かないと思います。
――そ、そう……その……先約って、……天原?
――はい。

「今のお前みたいに、スっゴく自然にさらりと。俺、最初から断られたのって初めてだなー」

人生の終わりのような表情の貴臣の話を、唯一は途中から聞いていなかった。

(……『先約』。約束は……してなかった。いつも、俺が勝手に呼びに行くだけで……)

貴臣から視線を逸らし、よく晴れた窓外を見やる。

「何だ。ちゃんと、待っててくれてんのか。そりゃ嬉しいな」

数枚の壁と床を隔てたどこかに居る理央に向けたその笑顔は。
曇りも無く演技も無く、かといって天使の無垢でも幼児の無邪気でもなく。
大人の、無防備な明るさだった。

一瞬押し黙った貴臣が、一段と不機嫌そうになって、呟くような不満を洩らす。

「素でそういう笑い方する奴には、俺達は勝てないんだよ」


しかし、そこで諦めるようでは貴臣ではない。
ずかずかと先を急ぐ唯一の後ろを、小走りで追ってくる。

「俺も一緒に行っていい? っていうか行くね」
「いっぺん断られてんだろ、懲りねぇな」
「それは俺単体だったからだよ、たった今・偶然・お前に会った・俺がついてく・だ・け・なら別にいいよね?」
「いいわけねぇだろ、女がお前と一緒に飯食ったら妊娠する」

淡々と言い返しながら次第に足を速める唯一の正面に、貴臣が面倒度最大値で回り込んだ。

「友達より女のほうが大事!?」
「女は別に大事じゃねぇけどあいつは大事だし、それをお前に言われたかねぇし。あと、お前ダチじゃねぇし」
「俺も友達だなんて思ったこと無いよ!」

短気なように見えて、唯一は意外に気が長い。
びしりと指差して怒鳴る貴臣の扱いに困り果て、げんなりした顔で足を止める。

「あーもーややこしい奴だなぁ……お前がついてくる限り、あいつとは合流しねぇよ。諦めて独りで飯食いに行け」
「そりゃいいこと聞いた、付き纏ってお前の昼休みを減らしてやる」
「それやるとお前の昼休みも減るんだが?」
「別にいいよ、何なら毎日昼休み減らしてやる。お前が知らなくて俺が知ってる饗島さんの話題を振ってやる」
「スっゲぇみみっちい嫌がらせだな。っつーかお前、何であいつの住所や年齢や筆記試験の結果知ってたんだ。どうせ履歴書だの採用書類だのチェックしたんだろ、職権濫用だしそれ喋ったら守秘義務違反」
「それくらいの権利は俺にもあったっていいっていうかあるべきっていうかあるんだよ! 友達の切実な頼みを切り捨てやがって!」
「そんな権利、何のどこに書いてあんだよ。あと、お前ダチじゃねぇし」
「俺も友達だなんて一度たりとも思ったこと無いよ!」

さすがに疲れてきたところへ、救いの天使が現れた。

「天原くーん。幸多くーん。ごはん行こー」

唯一は“助け”や“救い”というものを欲しがらないタイプだが、そのタイミングは間違い無く救いだったし、そのルックスは間違い無く天使だった。

市役所、などという社会と日常と定型の縮図である場にはあまりにも似つかわしくない何かが、てぺてぺと走ってくる。
今時珍しい三つボタンのスーツの、ジュニアアイドルにしか見えない小柄な何かは、短いさらさらの銀髪を揺らし、くるんと丸く大きな臙脂色の瞳を輝かせ、色白の手を振りながらやって来た。

「お、いいとこに来た。悪ぃけど俺用事あるから、コレ持って飯行ってこい」
「うん分かった」

素直に頷いて素直に即答した斎藤紘騎は、素直に貴臣の後ろの襟首を掴んだ。
それと同時にダッシュした唯一を追おうとして、貴臣の首が締まる。

「えっ、待っぅぐぇっ……ちょっ、王子っ、放してよっ!」
「駄目だよ、持ってけって言われたもん」
「何で天原の言うことは何でもかんでも無批判に聞くの!?」
「普段から、君が批判されるようなことばっかりしてるからだよ。さー行こー」

小動物の子供が親に首を銜えられたように、貴臣はずるずると引き摺られていった。

天使の加護で、唯一はやっと理央の部署へ辿り着く。
慌ただしい足音で接近に気付いた理央は、いつもの無表情で自席から唯一を見上げた。

「よっ」
「こんにちは」
「お待たせー」
「待ってません。……今日はどこへ?」


桜は既に散り、緑は既に濃く。
いつもの場所となった公園のベンチに、初夏の匂いの風が通り過ぎる。
昼食後の時間潰しに立ち寄ると、唯一は毎回、下らない話を続けながらごく自然にジャケットを脱いでばさりとベンチに広げ、そこに理央を座らせてから、予め買ってあった缶飲料を一本手渡す。
礼を言われる、右隣にどかっと腰を下ろす、午後の始業までだらだらと過ごす、平日の昼。

「何で市役所だったんだ? お前なら、もっと待遇いい仕事あっただろうに」
「……突然、何ですか」
「いや、人事の同期にとっ捕まってさ。聞いてもいねぇこと喋りまくりやがって」

ミルクティーの缶を持った両手を膝の上に置き、理央はぼんやりと遠くを見た。

「私は、こんなふうだから……接客業が出来ません。民間企業だと、初年度から事務勤務という会社は少なくて……店舗でやっていく自信がありませんでした。というか、受けても採用されなかったと思います」
「事務屋希望なら、中央官庁でも余裕で行けたんじゃねぇか?」
「確実に就職したかったので……採用枠が狭いところや合格ラインぎりぎりだと思ったところは、最初から候補に入れませんでした。第一志望は図書館だったから資格も取ったんですけど、司書の募集は少ないですね」
「図書館、ね。異動の前年度の意向調査に書けば、タイミング良く欠員がありゃ行けるかもな」
「それなら難しいですね。ここへ入ったことで運を使い果たしました」
「運、要らねぇだろ。今年の新卒の倍率、42倍だったってよ」

ベンチの背凭れに背と両肘を預けながら、唯一は理央と同じように真っ直ぐ前、しかし理央よりも少し上を見上げる。

「お前が司書になってなくて良かった」
「……はい?」
「いや、滑り止めに就職したお前には悪ぃんだけどさ。第一志望に行ってたら、俺、一緒に昼飯食う奴が居なかったわけだろ」

数秒の沈黙。
互いに顔を合わせもせず、先ず理央が口を開いた。

「天原さん、多分モテるでしょう?」
「うん」
「世界の半分を敵に回す科白を、何の躊躇いもなく言い切りましたね」
「謙遜したってしょうがねぇだろ。かといって自慢するようなことでもねぇし、イエスノー以外にどう答えろってんだよ」
「……あなたはいつも、周囲から声を掛けられるばかりで、周囲に声を掛けているところを見た覚えがありません。……どうして、私を呼びに来るんですか? 他の人でもいいんじゃないですか?」

ふと真顔になり、唯一は口元に手を当てて暫く考え込んでから、理央を見た。

「そうだっけ?」
「私が訊いてるんですが」
「あー、そっか、そういや以前は、同期や先輩が飯時に呼びに来てたんだった。野郎どもとわいわい食ってる分にはまぁそれなりに面白ぇんだが、今じゃお前が一緒に行ってくれるほうが楽しいもんなぁ」

一拍置いて、理央も唯一のほうを見る。

「楽しい、んですか?」
「そだよ。何か意外か? 仕事の拘束時間外ぐらい楽しく過ごしてぇだろ? そりゃ、お前がつまんなさそうなら声掛けやしねぇけど、いっつも楽しそうにしててくれるし」
「……楽しそう、ですか?」
「うん。お前、喜怒哀楽スゲぇ分かりやすいからさ、」
「……ちょっと待って下さい」
「あ、“怒”はまだ見てねぇな。お前、怒ることって無ぇの?」
「ちょっと、待って、下さい」
「はい」

理央が語気を荒げたわけではないが、唯一は畏まって一旦大人しくなった。

「そんなの、どこで判断してるんですか?」
「どこで、って……お前、眼ぇ、スゲぇ表情豊かだしな。ほら、女って、何考えてんだか分かんねぇこと多いじゃねぇか。いっつもキレて突っ掛ってくるから、ああ俺のこと嫌いなんだな、って思ってたらある日突然告ってきたりとか。逆に、人当たりは良くてちやほやされるんだけど性格最悪だったりとか。その点お前は、感情ダダ洩れだから。そりゃ、笑顔になったら綺麗なんだろうなぁとは思うけど、変に作り笑いや嘘泣きする女より分かりやすくていい」

膝に肘をついて前屈みになって理央に向けられた笑顔は。
先ほど貴臣に苦情を言われた笑顔と同じだった。

眼が合った理央は、瞬きした後、再び遠くを見る。
ややぎこちない一連の動作は、不意に強い光の下に出た時の反応に似ていた。

「何いきなり照れてんだよ」
「照れてません」
「ダダ洩れだっつっただろ」
「洩れてません」

自分の缶飲料のプルタブを開けながら不思議そうに問い掛けていた唯一は、中身を一口飲むなり、豪快に噎せた。

「何っっっだぁこりゃ!? 人間の為せる業じゃねぇ! 味覚が全否定する! そうだなぁ歴代2位 !!」
「1位が物凄く気になりますが……毎回自爆するのが分かってて、どうしてそんな見るからに危険な新製品を買うんですか」
「だってさ、気になんねぇか!? どういう市場調査からこういう需要があるって見込んじまったんだろうか、とか! こういうの飲み過ぎてモニター全員が味覚障害になっちまってるんだろうか、とか! コレをもっと大々的に売り出したら何日で倒産するんだろうか、とか! 飲んでみなきゃ、そういう感動が押し寄せて来ねぇだろ!?」
「そんなマイナスの感動に打ち震えたいと思ったことがありません」
「だったらいっぺん飲んでみろ! スゲぇぞ、視野が広くなる気がするから!」

他意は全く無いのであろう、唯一がびしっと飲みかけの缶を差し出す。
いくら何でもこれには理央も躊躇したが、動揺を伏せるようにそっと缶を受け取った。
自分が飲んでいた(まともなほうの)缶を傍らに置き、一口飲んでみる。

「……」

硬直の後、膝に右肘をついて頭を抱え、俯いたまま左手で缶を返却した。
表情が無いほどなので、普段の理央はリアクションが極端に少ない。
かなり珍しい、大きな反応だった。

「……視野が暗くなりました」
「な? 大ダメージだろ?」

言いながら、その危険物の残りを一気に飲み干そうとする。

「全部飲む気ですか? さすがにソレは、捨てても誰も責めないと思いますが」
「駄目だ駄目だ、アレルギーも無ぇのに食いもん残すのはアウトだろ、日本人として」

飲み終えた缶を膝に置く動作が、急に緩慢になった。
理央よりも深刻そうに頭を抱え込んで胸焼けに苦しんでいる。

「……未知のアレルギー、発症する……コレ、原材料、タニシ虫だろ……」

黙って見守っていた理央は、やがて呟くように訊いた。

「……天原さんのほうこそ、どうして市役所だったんですか? もっと待遇いい仕事あるでしょうに」
「何で?」
「普段の言動から何となく、お坊ちゃん育ちっぽいなぁ、って」
「……それ、幸多にも言われたことあんだけど。俺、何かおかしな言動してんの?」
「いえ。おかしい、っていうのとは逆で……マナーやレディーファーストが徹底してるのは一般的じゃない気がしただけです。勿論、そういうことに気を配る人も居るんですけど、こういう時はこうしなきゃ、って考え考え動いてる印象なんです。あなたの場合、呼吸するように自然というか」
「あー、うちの親父、そういうのに厳しいからなぁ。っつっても、上流ってわけじゃねぇよ。金はあっても、社内じゃ叩き上げ組だし」
「でも、成金の馬鹿息子が粋がってる、という印象はありませんね。きっと、それが自然な状態なんでしょうね」
「自然体が一番ラクだろ。TPOは必要だけどな、俺には、地を出してる暇も無ぇような親父の真似事は無理なんだよ」
「……だから、公務員、ですか?」
「うん」

ふと何かを思い出したように、唯一が顔を上げた。
力の抜け切ったいつもの自然な表情のまま、空けた缶を手持ち無沙汰にぷらぷらさせながら、眼だけがここではないどこかを見ている。

「親父がトばされた頃は、あっちこっちの国へ、それもあれこれ整った大都市圏じゃねぇ、その国で一番ヤベぇだろって街ばっかでさ、『ここでずっと落ち着いて暮らせる』って安心感も安定感も無かったから。そりゃ、親父は仕事命だから平気そうだし、お袋は親父命だからどこにでもついてくが、世界中引き摺り回されるガキは堪ったもんじゃねぇよ。俺はやっぱ、ここがいい。まぁ最近ちょっと怪しいが、世界的に見りゃ総合点高めだろ、将来ガキ育てる分には」

唯一に懐古趣味は無い。
眼はすぐに、現在の現実へと戻ってくる。

「とりあえず、俺が暮らしに求める要素は、家族養える程度に稼げて、遠方への転勤が無くて、いきなりクビにならなくて、安定した収入と休日が保障されてて、過労死しなくて、あと、」

饒舌だが穏やかに話していた唯一は、突然ぐっと拳を握り締めて理央を見やった。

「漫画とアニメとゲームとラノベ」
「……ソレ、重要なんですね?」
「最重要だ!」

理央は何かのスイッチを押してしまったらしく、唯一のパッションがとめどなく迸った。

「雑誌一つにしたって、発売日に買えなかったんだぞ!? やーっと店頭に並んでも、輸送費上乗せで日本の数倍の値段だし! 日本の正規品が欲しくても、未成年宛ての海外発送はなかなかしてくんねぇし! そもそも輸送システムがおかしくてまともに届きゃしねぇし! ガキの小遣いじゃ足りなかったんだよだから日本に住んで稼がなきゃなんねぇんだよなぁ分かってくれるか!?」
「……ちょっと分かりにくいので、その情熱を分かち合える同類が見つかるといいですね」

と答えた割には、突き放したり水を差したりするような冷淡な雰囲気は無かった。
一気に吐き出して少し落ち着いた唯一は、新緑の向こうに見え隠れしている庁舎を眺めながら愚痴の続きを零す。

「今の暮らしじゃ滅多に出逢わねぇなぁ。共通の話題持ってる奴もちょっとは居るんだが、同類とまでは感じねぇんだよ。何ていうか……波長が合わねぇ」
「海外では同類に出逢えなかったんですか?」
「んー。そういう奴は一人も居なかった。供給されるタイプの娯楽に金と時間を使える奴が限られてる。治安も衛生も倫理もあったもんじゃねぇ、とんでもねぇ街ばっかで……毎日、死ぬほど面白かった」

その奇妙な感想をしばらく咀嚼していた理央は、すとんと理解した。

「……天原さんが、美味しいものと同じくらい不味いものを買いたがる気持ちが分かった気がします」
「何だよ突然。けど、まぁ、そうなんだよな。俺ら程度の頭じゃ思いつけねぇような不味いもんを作る奴ってさ、三ツ星シェフ並みに貴重なんだよ」
「どんな街だったんですか?」
「住んでたとこ? 表現しにくいなぁ。強いて言えば……、」

懐かしむでも吐き捨てるでもない語調で、真っ直ぐ座り直した唯一はまた空を見る。

「運び屋と逃がし屋と掃除屋と中二病と武装メイドとロシアンマフィアとチャイニーズマフィアとイタリアンマフィアとコロンビアンマフィアと銃乱射してくる教会がごっちゃになっててルーマニアの双子がうろついてるような街ばっか」

雲が風に千切れて花のようにふわりと散り、離れ離れになっていく。
ここではないどこかでも見ていたであろう雲は、その頃夢見ていたであろう明日を勝ち取って“今日”にした唯一の上を穏やかに流れている。

「それは……よく生きて帰国出来ましたね」
「え? ……自分で言っといて何だけど、今の説明でちゃんとイメージ湧いたのか?」

自分の缶を空けた理央が、僅かに、ほんの僅かに小首を傾げて答えた。

「そういう街、ありますよね。二次元に」

ぴたりと静止した後ゆっくりと理央を見やった唯一の笑顔は、悪い子供のようだった。

「何だよ。ここに居たじゃねぇか、同類」
「私とは情熱分かち合えませんよ。あの本は、一般教養の類でしょう」
「はは。いいねぇ、そういう感覚はいい。だったら今日、お前んちの本棚見せてみろ。ぜってぇ俺とカブるから。あ、そうなると食材買って行かねぇとな」
「どうして押し入って家捜ししてごはん食べる気満々なんですか。私は、何も作ってあげる気はありません」
「いいよ勝手にキッチン借りるから。っつーか、家には入れてくれるんだ」
「入れません。せめて掃除した後にして下さい」
「何日後?」
「5年後くらいです」

唯一は白々しく腕時計を見る。

「お、ヤベぇ、こんな時間。んじゃ、帰りまでに、晩飯何食いたいか決めといてくれ」
「聞いてましたか?」
「あれ? ここで一服していかなくていいのか?」
「聞いてましたか?」
「うん全部聞いてた」

はきはきとした返事に、理央は軽く溜め息をついた。

「……席に携帯灰皿を忘れてきました。庁舎に戻ってからにします」
「食後に煙草無ぇとつれぇだろ。最後に吸ってからかなり時間経ってるよな? 匂い、薄れてきてる」
「午前中忙しかったので。いえそんなことより、どういう嗅覚なんですか」
「ソレ、使えば?」

空き缶を指す唯一に、理央が立ち上がりながら小さく首を振る。

「リサイクル出来なくなるから駄目です」
「はは。いいねぇ、そういう感覚はいい。ソレ貸せよ、捨てとく」

遅れて立ち上がってから2本の缶の上部を左手で持った唯一は、真昼の短い影が重なるほどの近さで理央の後ろを歩きつつ、斜め後方の缶用のゴミ箱へ、自分の肩越しに缶を放り投げた。


「さっき言ってた人事の奴だけど、」
「……幸多さんのことですか?」
「そう、ソレ。お前のこと虎視眈々と狙ってる奴。あいつに声掛けられてついてくついてかないはまぁお前の自由だけど、後で泣かねぇようにな」
「大丈夫です。私、モテないので」

庁舎へ戻る足を止めも緩めもしないが、唯一は左横を歩く理央をまじまじと見つめた。

「謙遜はいいから」
「本当です。まるっきり」
「お前の周りに居た男どもの目ん玉はガラス玉だったのか?」
「学生時代、あちこちに出掛けようって誘ってくれた人は時々居ましたけど……例外無く、2〜3回で声を掛けられなくなりました」
「何で?」
「つまらないんだと思います」

理央もまた、懐古趣味は無い。
ただ、振り返らないことが必ずしも建設的とは限らない。
過去と現在を並べて現在と未来を考える際、唯一が常に前を向いているのに対し、理央は常に下を向いている。

「私としては、ちゃんと楽しかったり、感謝していたり、または申し訳無いんですが退屈だったり、色々思ってはいるんですが、こんなふうなので……伝わりません。言葉で表してみても、心のこもってない社交辞令だと受け取られてしまうようです」
「そりゃ良かった。そいつらの目ん玉がガラス玉で」

ここではないどこかから数秒で戻ってきた理央に、唯一はさばさばと言い切った。

「お前、面白ぇのにな」

庁舎へ戻る足を止めも緩めもしないが、理央は右横を歩く唯一をまじまじと見つめた。
再び前を見たややぎこちない一連の動作はやはり、不意に強い光の下に出た時の反応に似ていた。
唯一の返事を掘り下げはせず、理央は話をずらす。

「女性となら、もうちょっと気楽に過ごせます。だから、どこかに一緒に出掛けるのは、いつも女の子ばかりでした」
「あー、女同士だったら基本的に、『お友達から始めましょう』なんて下心が無ぇだろうからな。最近は会えてんの?」
「高校の友達は……実家が遠くて、滅多に帰省しないので……皆、今頃どうしているのか……大学の友達も就職や進学で散り散りになったし、今は忙しいだろうし、なかなか会えません」

途切れ途切れな返事ではあるが寂しげではなかった、新しい季節とはそういうものだと受け止めているようだった。
だから別に励ますわけではなく、かといって聞き流すわけでもなく、唯一は唯一らしい質問を真顔でぶつける。

「女同士のほうが気楽なら、俺、女装したほうがいい?」
「……話が記録的に飛躍しましたね。女装でお仕事するんですか?」
「ほら、ここって、割と服装髪型自由だろ?」
「自由の解釈が自由過ぎです。性同一性障害以外では認められないんじゃないでしょうか。女装した天原さんが窓口に座ったら、進撃の職員にしかなりませんよ」
「そうだなぁ、俺の体格じゃ服揃えるだけでも大変か。お前も結構背ぇ高ぇよな、どこで買ってる?」
「参考にするつもりなら答えません。あと、私、身長、かなり気にしてるんですけど」
「うん知ってる」
「……今初めて言ったのに、どうして知ってるんですか」
「いつも、靴の踵ぺったんこだから。そんぐれぇの背丈のほうが、俺には有難ぇんだけど。目線近くて話しやすい」

他意は無くにこやかに語る唯一に、理央はもう改めて反応はしなかった、というよりも反応しないように努めた。
他意も無く連射してくる殺し文句から逃れるように、僅かに足早になっていた。
それに気付いていないのか、唯一の独創的な質問は続く。

「化粧品って、一通り揃えたらいくらぐらいすんの?」
「済みません早くその世界から戻ってきて下さい。あと、私はメイクのことは殆ど分かりません」
「そういやナチュラル志向だよな。化粧っ気が無ぇだけじゃなくて、服装的にも」
「……社会人の身嗜みの最低限さえしてあれば問題無いので」
「それでも目立ってるぞ。特に出逢いが少ねぇ職場だから、独身組にはロックオンされやすいだろうな」
「本当にそうなら有難いことですけど、そういうかたもきっと、2〜3回喋ったら愛想つかすでしょうね」
「そうであって欲しいところだな」

さらっと、からっと、普通は思っても言わない願望を唯一は気軽に口に出してしまう。
理央は更に足早になった。

「それに、実際、ここに就職してからは、天原さん以外からは声掛けられません。幸多さんくらいでした」
「まぁ、俺が付き纏ってるからだろうなぁ。幸多はあれだ、そういうの気にせず特攻する奴だから」
「付き纏ってる、って、自覚はあったんですか。一歩間違えばストーカーですね」
「あ、良かった。まだ間違ってねぇんだな」

理央の足が緩まり、止まる。
俯きがちに、独り言のように、小さく呟いた。

「……こんなに長い間、声を掛け続けてくれたのは……天原さんだけです」
「徹底的に受け身なんだなぁ。自分のほうからは何もアクション起こさねぇの?」
「……いえ……私は……」

午後の始業まで、あと2分。
昼休みの逢瀬はここでお開きとなった。


(顔や声に感情が表せない人間で良かった……って思うことも、時々はあった)
(話しても相手に感情を知られない……のは、残念な時も多いけど……深く関わらないようにしたい時には気楽だった……のに)

女性の先輩の指導の下、理央は午後の仕事の準備を始める。

(天原さんには……筒抜けになる。たまに話すだけならまだしも……毎日、真っ直ぐ、私のところへやって来る)
(関わらないようにしなきゃ、って……今朝もそう決めてきたのに)
(天原さんが来てしまうと……話し掛けられると、笑い掛けられると……もう少しだけ、一緒に居たい……って)

数枚の壁と床を隔てたどこかに居る唯一に向けたその無表情は。
既に唯一の言葉に捉まっていながら、未だ逃れようと無駄に足掻いている眼だった。

(私は……あなたに近付きたくない……)