鳥啼く声す 夢覚ませ

(コレ、何?)

酔いの延長で、瀬度鉄成せとてつなりは考える。

居酒屋の中。
血溜まりの中。

椅子の足下には、会社の後輩の頭部があった。
もともと短気な上に酒癖も悪い鉄成がいつものように癇癪を起こして怒鳴りつけた時の、怯えつつも呆れた表情のまま。

床に突然転がり落ちた生首に周囲が騒然となる、ということもない。
高架下、安普請の狭い店内は、いつまで経っても静かだった。
店主も店員も他の客達も、鉄成以外の全てが。

ある者は、後輩と同じように首を胴から切り離され。
ある者は、肩から腰へかけて両断され。
ある者は、心臓を一突きにされ。

(コレ……何?)

死の瞬間の重心バランスが良かったのか立ったままだった店員が、首の断面から噴出させている血の勢いが緩やかになってくるや、どさり、と倒れ伏した。
惨劇からワンテンポ遅れてやって来たその音で、酔いと放心が急激に醒め、鉄成は恐怖の発作に見舞われる。
この場から逃げ出そうにも、手足が意思とは違う方向へばらばらに動こうとするし、腰も抜けていて椅子から立ち上がれない。
そんな鉄成の正面に、何かが居た。

最初に眼に入ったのは、靴、と呼ぶには前時代的なサンダル状の履き物と、鉄成の倍ほどもある両足。
ぐらぐらと定まらない視線を徐々に上げてみると、やはり前時代的だが簡素で機能的な衣服と、鮮血に濡れた大剣。
恐らくは両手持ちであろうその大剣を無造作に右手で構えている、それは。

一応人間の形をしてはいるが、大柄、巨体、という表現を超えた岩山のような体躯に、理性も知性も感じさせない粗暴な顔。
平均的な成人男性よりも小柄な鉄成など、空いているほうの左手で握り潰されても不思議ではない。

殺される、という単語すら浮かばなかった。
ひゅい、と微かに悲鳴を絞り出す。

ドアが開き、客が二人入ってきた。
談笑しながら引き戸を引いて暖簾を潜った二人は、視覚よりも先ず嗅覚、次いで聴覚で異状を感知する。
錆びた鉄のような臭いが飲食物の匂いを掻き消すほど充満した店内、物音一つしない店内、夥しい死体の散乱した店内、の順に認識し、それらを統合した結果、二人は同時に口を開きかけた。

悲鳴は間に合わなかった。
巨躯に似合わない俊敏さで怪物がドアのほうへ踏み込み、大剣を振るう。
新たな死体が二つ、出来上がった。

漸く、鉄成に恐怖以外の思考――疑問が浮かび始める。

(何)(何だコレ)(俺が居るのに)(眼の前に居たのに)(真っ直ぐあっちに行った)(何で)(俺だけ、殺されない?)

ぶぉん、と大剣を一振りして血糊を軽く払い、怪物は鉄成へ向き直る。
それが、意外にも、人語を話した。

「て、いぎ……」
「……ふぁっ!? お……俺!? 俺に言ってんの!?」
「そう……せ、と、てつ、なり。定義、しろ……」
「て、てて定義、って何、」
「な、まえ……俺に、名前……くれ。お前でなくばならな、い……」

数秒経過。
恐ろしい理解が立ち上ってきた。

「……俺、じゃなきゃなんない?」
「そう……俺、鉄成の、モノ……」
「お、おおおお俺の、モノ!?」
「そ、う……早く……は、やく、名前……」

緩慢な理解は遂に炸裂した。
希望、切望、願望、の形をした、どす黒い光が意識を塗り潰す。

(そうか)(そりゃそうだよな)(これ、夢なんだ)(夢の中でなら)(どんな夢だって叶う)
(コレが居れば)(俺の夢が)(願っても叶わなかった夢が)(夢が!!)

特別でありたい、絶対でありたい、万能でありたい、と願ったところで平凡で在ることしか出来ない。
所謂中二病のような自己暗示や演技で満足するには、鉄成は社会生活が長過ぎ疲れ過ぎていた。
それが唐突に叶おうとしている。
覚めれば醒める夢ならば尚更、逃してはならない。

「分かった、そ、そうだな……よし! お前の名前はっ……、」


「おやまぁ。3柱目も失敗か、ねぇ」

両手を後ろに組んで立っている白衣の老人は、深々と溜め息をつく。
が、心の底から落胆している様子は無く、声はどことなくうきうきと弾んでいた。

「いや、彼が“贄”にならなかったのだから、初成功、と言えるのかな。だが、あんな名はないよ、ねぇ」

何かの研究所のような、広く薄暗い室内。
しかし、薬品、器具、機器、資料、等がそれらしく並んではいるが活用されている形跡は無く、舞台や映画のセットのように単なるオブジェとなっている。
窓は遮光カーテンに覆われ、スタンドライト一つさえ点いているでもなかったが、室内は淡い緑色に照らされていた。

ドアの向かい側の壁際、天井付近、サッカーボールほどの大きさの数十個の物体が浮遊している。
何の物質で出来ているのか不明なそれらは全て、正二十面体。
仄かに発光しなから、漂うのではなく定位置に留まり、回転軸の無い不規則な回転をしていた。
そのうちの一つが、20枚の正三角形に、今しがたのどこかの惨事をあらゆる角度から映し出している。

「意思の疎通もままならぬほど知能の低い出来になってしまったか。アレの基礎能力は、アレを“切り取って”きた人間のレベルに左右されるのだから仕方がないが……アレがもっと詳しく説明出来ていれば、ちゃんとした名が与えられたかもしれぬのに、ねぇ」

小柄で恰幅の良いその白人らしき老人は、一見、何歳くらいなのか判別出来ない。
後退気味の金髪を乗せている限りなく皺深い顔が、幼児のように生き生きした表情を湛え続けているからだった。
そして、一見、眼が見当たらない。
老いで、または微笑で、若しくはもともと細い眼で、といった理由で眼を細めているように見える、というわけではなく、

「瀬度鉄成、か。さて。彼は、あの粗悪品を、どんなふうに使うか、ねぇ?」

天井付近を仰いだまま饒舌に語り続ける老人は、皺の奥で終始、両瞼を閉じていたからだった。